学校の先生が死んだ日
2008年7月11日に先生は死んだ。
さて、重々しい言葉で初めてみました。
ちょっと刺激的な言葉かもしれませんね。
私の娘は夏休みも終わり、学校にセクセクと通っています。
子供にとって夏休みは幸せな時間でもあり、窮屈な時間だと思っています。
何故そうなるのか?
「宿題」ですね。
今年も妻から怒られていました(笑)。
「いつになったら宿題すんの!!!!」と どこにでもある良くある光景。
各家庭によって子供の教育方針はあると思います。
5年生ににもなると習い毎で塾に通わせたりしている家庭もある。
では、我が家はどうなのか?と言うと「放任」。
好きにしたらいいよという事です。これは私だけで妻がどうかはよくわかりませんが(笑)。
やりたければやったらいいし、やりたくなければやらなくて良い。
宿題なんて無理やりやったって誰も得しない。頭に残る訳もないし。
夏休みに話題になりましたが、フリマアプリで夏休みの読書感想文が売られていると。
私は感心しました。「ほ~すごいアイデアだ」と。
売るって事は買う人がいる。だから成立する。
買っている人はきっと自分で書いても意味がない。それよりも大事な事がある。
という価値観なんでしょう。その「発想」が大事だと思っています。
「感想文なんて売ってないよね~」と思いながらメルカリで売ってた!って。
その「探してみる」という発想の結果、買うこと出来た。
その発想力、行動力がすごいと思いました。
書きたくもない読書感想文を書くより。
例えばですが、その読書感想文を買いたいが為に親にねだり、
親は「じゃ◯◯の手伝いをしたらお小遣いを上げるからそれで買ったら?」と
いう物を買うために◯◯するという子供の「労働所得」を得る為の「経験」の方が
記憶に残るし、これから社会に出て苦労するであろう「労働所得を得る」経験をする。
そっち方が子供の為になるでしょう。
書きたくもない読書感想文を無理やり書かされるよりね。
自分の事を考えても小学校の時に書いた読書感想文なんて覚えてます??
その時に読んだ本覚えてます??全く記憶がありません、そんなもんです。
もちろん読書する事は良いことです。自分から率先して読む好意は賛成です。
意外ですが、娘も図書館で借りる本はマンガではなく活字の本です。
好きで読んでます。これは大賛成です。
でも無理やり書かせる読書感想文は意味が分かりません。
勉強なんて出来なくてもこの先対して困ることないと思っています。
学校の成績なんて対して意味がない。そう本心で思っています。
2008年7月11日に先生は死んだ。
そう思っているからです。
今は先生がいなくても全く困りません。
学校で習ったことを暗記する必要なんてありません。
先生が生きていた時は「1600年にあった歴史上の出来事は?」という問題があったとします。
その答えを調べるには学校の先生に聞くか?授業中に習った時に書き留めたノートを見るか、教科書を見るか?
という行動が必要でした。
家に帰って問題を出されてしまったらさあ大変です。頭の中に残っていない。教科書は学校。そうなるとその日に
その答えを自分で出すことは出来ないかも知れませんね。
先生が生きていた時は。
2008年7月11日に先生は死んだ。
わかりますか? iPhoneの登場です。
今思えばあの時から先生は死んだと思いました。
「あれ?そういえば◯◯ってなんだっけ?」
2008年より前はパソコンでちょっと調べる。
まだパソコンがありましたので多少インターネットで検索ができましたが、
ネットの情報量はまだまだ少なく、細かい事までわからなかった。
でも、iPhoneの登場で時代は一気に加速したと思います。
さっとポケットから出して、ちょっとした調べ物は99%解決出来ます。
その瞬間に昔覚えた歴史年表なんて意味が無くなりました。
何年に何があったか?なんて事は検索すれば1秒以内に出てきます。
学校の教科書は要らなくなり、暗記するという無意味な行為がなくります。
年表を覚えないといけないのはクイズタレントぐらいではないでしょうか?
なので学校の勉強なんてホント必要最低限の教育でもっと大切な事を教える必要があるのでは?
と考えます。
学校で人や友達と一緒に感じる人間形成なんかや人と接したりコミュニケーションを取ると
いう経験は学校では必要かと思いますが、意味のない読書感想文は辞めた方がいいよと思います。
それよりはネットでググる方法を教える方がこれからは時代に早くついて行けるではと思います。
困ったらググろう!
誰かに聞く前に「ネットでググる」「ネットには99%答えはある」という事です。
その結果どうしても載ってい事はここで初めて「質問する」この過程を若い内に学んで欲しいなと思いますね。
なんて お話でした。
学校の先生にはごめんなさいですm(_ _)m