吉村順三先生の軽井沢にあるアトリエ山荘に行ってきた【建築士におすすめ】
先日念願の吉村順三先生が設計された軽井沢にある吉村山荘を見学に行ってきました。
今回は11月に限定公開されている同じく吉村順三先生が設計された脇田山荘の見学ツアーと絡めて軽井沢に行ってきました。
このブログを読まれている方は「吉村順三」って誰ですか??という方が多いと思いますので今回はこの吉村順三先生の経歴や作品などについて解説したいと思います。
目次
吉村順三(よしむらじゅんぞう)先生とは?経歴をご紹介
吉村順三先生の経歴について改めて調べてみました。
吉村先生は東京生まれの建築家。生まれたのは呉服商の家でした。家は衣類が多かったこともあり、「ものづくり」の感性は、小さい頃から培われていたのかも知れません。特に呉服屋は女性客の多かったことが推察されます。女性の着る着物の繊細さから、そのセンスは磨かれて行ったことだとも思われます。
また、吉村先生は東京美術学校(現、東京芸術大学)のOBです。ご存知の様に、この学校は日本最高峰の芸術系の大学です。美術、音楽など、様々な分野の優れた作家が学び、そして巣立って行った学校と言うことが出来ます。吉村先生もこの学校で学びました。多くの優れた芸術家のタマゴたちの中での切磋琢磨は、先生の後の作品に生かされているとも言えるでしょう。
吉村先生は美術学校卒業後、アントニン・レーモンドに師事しています。
↑写真はアントニン・レーモンド設計【軽井沢聖パウロカトリック教会】
↑アントニン・レーモンド設計【ペイネ美術館】
ちなみに、現在でも音楽や絵画、デザインなどの現場においても、日本の伝統的な創作と、海外の昔からの創作物の融合の試みは非常に多くされています。
例えば、音楽などでは、日本の伝統的な楽器を用いたポップスやロックの試みがありますし、衣料などでも海外の物との融合も見られます。そして、これらの実験的な芸術は多くの支持を集めています。
そのことからも、建築分野における、この前衛的な取り組みは、多くの人の感性に届く物とも言えるでしょう。
そして、その後、吉村先生は吉村順三設計事務所を設立し、数々の創作活動に取り組んでいます。先生の作風は「和モダン」とも評され、多くの人から愛されていますが、様々な作品において見せてくれる試みは、見る人、使う人を見事に包み込み、「快適さ」と「少しの興奮」を覚えさせてくれたと言えます。
その後、吉村先生は東京藝術大学の教授となり、後に続く若者の育成に力を注いでいます。そして、多くの若い芸術家を輩出しました。多くの吉村先生から生まれた建築家は様々な大きな仕事を成し遂げています。そのことからも、吉村先生は日本の建築史に大きな足跡を残した巨人と言えるとも思います。
吉村先生は1908年9月7日に生まれ、1997年4月11日に他界されました。
この時期は芸術においてはモダニズムが花開き、建築技術においても様々なテクノロジーも生み出され、「過去には出来なかったこと」がどんどん「可能になった」時代だったと言うことも出来ます。
この時代背景と様々な場所での発展について考えると、吉村先生の創作意欲も大きく広がったことと思われます。
ちなみに、吉村先生は執筆活動にも精力的に取り組んでいた人物でした。
吉村順三先生の有名な著書は?
主な著作物としては、「吉村順三のディテール 住宅を矩計で考える」「小さな森の家 軽井沢山荘物語」「火と水と木の詩 私はなぜ建築家になったか」などがあります。
建築物の鑑賞も良いのですが、著書に目を通すと、先生の人間像を更に理解することが出来るでしょう。
吉村順三先生を師事した有名建築家は?
前述の通り、吉村先生は後輩の育成にも尽力して来ました。そして、その実りとも言うべき弟子が大きな活躍を見せています。ここでは吉村順三先生の弟子の建築家について紹介します。
益子義弘(ますこよしひろ)先生
引用元(https://hk-const.com/design/579/)
益子義弘さんは東京出身の建築家で、今は東京藝術大学の名誉教授の方です。建築物としては、「新座の家」「明野の家」「箱根の家」「金山中学校」などの作品があります。
また、受賞は、日本建築学会作品選奨、日本建築家協会25年賞、日本建築学会東北建築賞入賞などがあり、輝かしい経歴を持つ建築家です。
ちなみに、益子さんは執筆活動も精力的です。
主な著書としては、「人・エスキース・作品」「湖上の家・土中の家」「建築への思索」などがあります。建築物の設計だけでなく、芸術家としても広く活躍してたことも、書籍などからも伺えます。
金壽根(キム・スグン)さん
引用元(https://ja.wikipedia.org/wiki/金壽根)
金壽根(キム・スグン)さんは韓国の建築家で、韓国では巨匠と称される人です。
作品は韓国内に200以上あり、どれもが優れた建築物として高い評価を得ています。代表作としては、ソウル蚕室総合運動場、 空間社屋、馬山聖堂などが挙げられます。
また、金壽根は弘益大学校や建国大学校、そして国民大学校で後輩の育成に力を注ぎました。建築史の中に大きな足跡を残した偉人とも言える人なのです。
尚、活躍は建築設計だけでなく、啓蒙活動も大きな業績を上げています。この方は月刊誌「空間」を創刊していますが、これは韓国で初めての建築・芸術総合雑誌でした。この韓国での初めての建築と芸術の雑誌は海外からの評価も高く、「タイム」誌でも取り上げられています。
これらの海外からの高い評価を見ると、まさに「巨匠」の言葉にふさわしい建築家であると言えるでしょう。
中村好文(なかむらこうぶん)先生
こちらの写真は以前お会いした時のツーショット写真♪お気に入りです。
中村好文さんは千葉県出身の建築家です。大学卒業の際の卒業制作には、無重力下を想定した住宅があり、ある種の異才とも言える人です。
中村さんは建築の他にも家具製作を学んだ経歴もあり、吉村順三設計事務所では家具製作に携わってもいました。
また、建築に関連するエッセイストとしても知られています。建築は多くの人が関心を持つ分野ではありますが、なかなか分かりにくい部分があると、多くの人が感じていると思います。その様な中にあって、中村さんの執筆は、その様なハードルを下げて建築を親しみやすい物として広げていると言えます。
中村好文さんは別にブログにて語っていますのでこちらをご参考に↓
宮脇檀(みやわきまゆみ)先生
※引用元 https://ja.wikipedia.org/wiki/宮脇檀
宮脇檀は愛知県出身の日本の建築家です。洋画家の息子として生まれ、東京芸大時代に吉村先生の元で学んだ経歴があります。
作品としては、コンクリートの打ちっぱなしと木を組み合わせたボックスシリーズがあります。そして、その中の「松川ボックス」は日本建築学会作品賞を受賞しています。
また、この方は大学院時代に日本一周旅行を果たし、その中で日本の様々な集落を訪れています。若い内から非常に研究熱心だった建築家と言うことが出来るでしょう。
この様に、吉村先生は多くの優れた弟子を世に送り出していて、ある人は建築、またある人は都市計画、また文筆などの方面でも多くの影響を残していると言えます。
弟子達の大きな仕事を見てみると、吉村先生の人間ぶりが伺えるとも言えます。
先生の生まれは東京の呉服屋なのは前述の通りですが、その中での多くの人達との出会いや、多くの芸術的とまで言える着物で培われた「和」に対する感性は独特の物とも言えます。そして、そのセンスは独自の空間創造に繋がり、それが更に弟子に受け継げられて行ったとも言えると思います。更には、吉村先生と弟子の皆さんはこれからも多くの人々に影響することでしょう。先生のモダニズム的センスが更に受け継がれて行くことは、これからの楽しみでもあります。
吉村順三先生の設計した「軽井沢の山荘」こと「吉村山荘」とは?
吉村順三先生が創作した建築物の代表作に「軽井沢の山荘」とも呼ばれる「吉村山荘」があります。
今回の旅で翌日に実際に拝見しましたが、なんとも言えない佇まいに感動を覚えてしまいましたね。
これは軽井沢の森の中に建てられた山荘で、美しいプロポーションの建築物。構造としては、1階が鉄筋コンクリート造で2階が木造の地上2階の建物です。建築面積としては51.8㎡、延床面積が87.7㎡なので、コンパクトな造りと言うことが出来ます。
この山荘は吉村先生の建築物の代表作品と言うことが出来る建物です。山荘の独特のフォルムは、単なる山荘としての建築物としての雰囲気だけでなく、周囲の美しい森の景色に溶け込んでいます。そしてその姿は、自然と一体化した独特の空間となっているのです。
こちらの建物の図面は以下の本にも記載されています↓私も購入してもっています^^
「アトリエ山荘」(脇田山荘)に見学に行ってきた
今回のメイントピック。こちらに参加してきました
引用元(https://www.slow-style.com/event/1900/)
1年に一回だけ期間限定で公開されています。今回はこちらのイベントに誘われて行ってきました。
今回は動画にして建物内もみて頂けます。※まだ見に行ってない方や今後見に行くまでの楽しみにしておきたい!という方は見ないでください^^
軽井沢に「脇田美術館」という美術館があります。
【脇田美術館】
〒389-0100 長野県北佐久郡軽井沢町旧道1570−4
この美術館は現代洋画家の脇田和が長年の夢を実現させた美術館として知られていますが、吉村先生の作品であるアトリエ山荘は、この美術館に隣接して建っています。
このアトリエ山荘は脇田画伯の住居とアトリエから成る建物で、コンクリート建築と木造建築の2つの構造で1つの建物を構成しています。
建物は庭を囲む様にして造られていて、庭で見られる四季折々の自然の変化を愛でながら創作活動に勤しむことが出来る様になっています。
尚、軽井沢は自然が豊かな場所ですが、アトリエ山荘は床に湿気を入れない構造となっています。
そのため、室内は非常に快適になります。
この様式は芸術的な形の面白さを追求するだけでなく、実際に生活する人のことまでをも考えた造りと言うことが出来て、吉村先生の人間性を垣間見ることの出来る作品とも言えます。
5、吉村順三先生が眠るお墓にも参らせてもらいました。
今回の初日の夜に新潟の大社長から久しぶりに直メッセが!
FBで軽井沢に居るとは公開していたのでそれをみてメッセくれました(‘ω’)ノ
「言うの忘れてた、脇田アトリエの裏の墓地に、吉村順三のお墓があるんだけど、花を手向けていただきかたかった。もう帰ったよね?」と
本田「お疲れ様です!アトリエカムイの井野さんに聞いてるで明日行きます!」というやりとりをしていました。
初日は軽井沢で設計事務所をされている「アトリエカムイ」の井野さんを一緒にいった吉田さんに間を取ってもらい紹介してもらいました。
施工中物件からすでにお引渡し済みの別荘住宅をご厚意で見せてもらいました。
と、いうスケジュールを入れていたのと、その間の世間話で「吉村順三先生のお墓がすぐ近くにありますよ」と聞いていたので翌日のスケジュールに入れておりました^^
という事で翌日に行ってきました。なんかすごく神聖な場所でした。
脇田山荘のすぐ近くになります。詳しい場所などはここでは控えたいと思います。にぎやかにさせる場所ではありませんので。
でも近くに行った際には是非立ち寄って頂きたい。気になる方は知り合いの方でしたら場所お伝えしますので私まで聞いてください^^
6、吉村順三さんといえは「たためる椅子」も有名。
吉村先生は家具の方にも明るい方だったと言うことも出来ます。建築を芸術として扱うセンスの持ち主と言うことからも、先生が空間演出にも力を注いでいたことが推察されるからです。きっと、先生は居室内の人の暮らし心地などをも、優先的に考えていたことと思われます。
さて、吉村先生の作品の1つに「たためる椅子」と言うものがあります。これは木製の椅子で、小さくたたむことが出来る構造となっています。家具の中でも椅子は意外に大きな存在となり、生活空間の中に置くと、空間が狭く感じてしまう場合もあり得ます。しかし、その椅子がたためるのであれば、空間を狭くすること無く、ゆったりとした雰囲気にすることが出来るのです。
写真提供【住吉区工務店 藏家】
また、たためる椅子はフォルムも特徴的です。家具は直線的な造りになり、しばしば硬い印象の物となりますが、吉村先生の椅子は素材の持つ温かさと柔らかさを見事にマッチさせています。
そして、この椅子のフォルムはモダニズムを引き継いだフォルムとも言うことが出来ます。素材は木であり、昔から使われて来た素材ですが、空間の中での自己主張もしっかりとする雰囲気も特徴的です。
吉村順三さんのその他の代表
ここで吉村順三先生のその他の作品を取り上げてみましょう。
先生の作品は非常に多岐に渡るため、簡単に説明することは難しく、紹介すべき作品を選ぶのも迷いますが、3点ほど挙げて紹介したいと思います。
国際文化会館
この作品は東京都港区の建築作品で、ロックフェラー財団をはじめ、吉田茂首相をはじめとする財界人、川端康成らの支援を元に建てられた物です。この作品によって、吉村先生は日本建築学会賞を受賞しています。
また、この施設は宿泊施設、会議施設。図書室などの施設が儲けられ、講演会やシンポジウム、セミナーにも使用されています。
尚、この建物は2005年に改修工事を行っています。内容としては耐震性を上げるものですが、この時の改修工事は、建物の持つモダニズム建築の美観などを変えること無く行われたため、画期的な物として高い評価を得ました。そして、この保存再生活動に対しては、グッドデザイン賞などが送られています。
箱根ホテル小桶園
神奈川県箱根町にある吉村先生の作品の1つで、リゾート施設の中で使われている建築物です。過去には宿泊施設も営業され、多くの外国人を迎え入れて来ました。
過去のホテルを見てみますと、全室に温泉引湯があり、露天風呂を含む大浴場もありました。また、施設内にはホタルを鑑賞出来る場所もあり、日本の伝統と情景を外国人に紹介する施設として、大きな意味を持っていたとも言えます。
愛知県立芸術大学
愛知県立芸術大学は愛知県長久手市にある芸術系の公立大学です。吉村先生の設計したキャンパスからは多くの芸術家が巣立って行ったとも言えるでしょう。
また、ここはDOCOMOMO JAPANの選定する日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選ばれています。吉村先生のモダンな作風が現れている施設と言うことが出来ます。
ちなみに、この大学からは現代美術家の奈良美智や写真家の雑賀雄二、音楽では作曲家の藤掛廣幸などが出ています。吉田先生の作品がこの様な優れた芸術家の育成に貢献したことは、非常に興味深い歴史です。
これらの建築物について考えてみると、日本人だけでなく海外の方々からの評価が高かったことも分かります。先生の作り出す近代的な作風と「和」が持つ風情の融合は、多くの人を魅了したことも伺えます。そして、今でも若い芸術家は吉村先生の作品に学びながら、新たな創作活動を行っているとも言えるのです。今後も若い建築家が吉村先生の作
風を受け継いで行くことでしょう。面白い建物が建築作品が増えることは、非常に楽しみなことです。
まとめ
今回1泊2日の短い時間でした、建築界の巨匠「吉村順三」先生の作品に触れたりお墓に手を合わせることが出来たのは非常に良い経験になりました。
吉村順三先生の作品を目にする機会があれば是非増やして行きたいと思います。